Tさん:法律で語られる倫理や道徳、規則は論理演算で表せますか?
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E8%AB%96%E7%90%86%E6%BC%94%E7%AE%97
それが、池田さんの、研究テーマと解釈してますがどうでしょう。
まずは、契約書あたりからですかね、NDAぐらいなら表せそうな気がしてきたww
池田:NexLPが近い領域ですね。日本ではまだ見つけていません。
意味の世界は帰納と演繹で概念をネットに散らばっているテキストから勝手に法的テキストのコーパスを作ってくれて,そこから勝手に学習して明らかにしていっていけるといいんじゃないでしょうか。
概念の理解の基本は帰納法ですかね。反証が見つかるまでは真という前提でいいと思います。
文構造の理解(主体・客体・行為・権利・義務・要件・効果など)と,閉じた空間としての各契約書の中の整合的解釈
あとはあえて意味に膨らみを持たせることで結論の座りを良いように調整できるようにすることや,判断の必要がない部分を空白にしておいて今後に委ねるといったこともあります。
類似判例や適用条文を連想検索で探したりするのは有用そうですね。
Tさん:イイ!
コーパス化⇨コンメンタール/リステイトメント編纂をITで進められると法律家コミュニティ的には有用でいいですね。
法律家共同体のLegal Culture(by エルスター)のベースとなる情報処理技術です。
エルスター Ⅳ 多数決原理への対抗装置としての司法審査
究極的には、すでに述べたように、憲法による権利の保護は、単純多数に基盤を求めるべきものなのです。原理上は、多数派の意見が憲法に直接に表現されていても、後世の憲法の再解釈に反映されていても同じことなのです。大切なのは、法律が多数派の、一時的な気まぐれでなく、熟考された意見を反映することなのです。その意味では、情熱や利害に影響されやすい憲法制定会議よりも、ゆるやかに進化してゆくリーガル・カルチャーに信頼をおく方が理にかなっているということができます。
ヤン・エルスター「多数決原理と個人の権利」
<序章 民法への道案内> ○法解釈とは・・・ 法律の解釈はちょうど何人もの人々が順番に小説を連作していくようなもの。 これまでに形成された法規範の体系と整合的でありつつ、しかも、 政治的・社会的な価値の点で優れた創造的解釈を目指さなくてはならない →それは決して解釈者の自由な価値判断ではなく 価値によって拘束された創造だといえる ○すぐれた法解釈とは・・・ ・第一に法の解釈には一貫性が要求される (一貫性とはすでに蓄積されている確立した法原理との整合性) →法の解釈は斬新的な改革の道具ではありえても革命の手段とはなりえない ・第二にある事例で提示された解釈論は同様な事例で 先例として機能することが予定されている →解釈論はその射程に含まれる類似の事例においても 妥当性を主張しうるものでなければならない ・第三に優れた解釈論はその背後に説得的な思想を持ち、 正義・衡平の観点から支持を得られるものでなければならない →常識に合致した結論でなければならない
内田貴「民法」
民主制において人民が法律家を警戒しないのは、人民の大義に仕えることが彼らの利益になると分かるからである。人民が憤ることなく法律家の言に耳を傾けるのは、彼らに下心があると思わないからである。事実、法律家は民主主義が自ら立てた政府を覆そうとは望まない。ただこれを、民主主義のものとは違う傾向、それとは異質な手段によって指導しようと努めるのである。法律家は利益と生まれでは人民に、習性と趣味では貴族に属する。彼はこの両者の自然の結び目、二つをつなぐ環のごときものである。
法曹身分こそ、民主主義本来の要素と無理なく混じり合い、首尾よく、また持続的にこれと結びつくことのできる唯一の貴族的要素である。法律家精神と民主的精神とのこの混合なくして、民主主義が社会を長く統治しうるとは思わないし、人民の権力の増大に比例して法律家の政治への影響力が増さないとすれば、今日、共和政体がその存続を期待しうるとは信じられない。
トクヴィル「アメリカのデモクラシー」
http://d.hatena.ne.jp/kihamu/20081214/p1
一見非合理なんですが長期的には合理的なんだと思います
radical民主主義⇨衆愚政治を緩和する装置ですね
ちなみに自分の学士の頃の研究テーマはこれでした。seinとsollen,存在と当為です。マニアックですね。
ある規範がなぜ妥当しているのか、ある個人がなぜある仕方で行動すべき なのかという問題は、ある事実を確認することで答えることはできない。つまりあるものがあるという言明で答えることはできない。規範の妥当性の理由は 事実ではありえない。あるものがあるという状況から、あるものがあるべきだ ということは生じえないし、あるものがあるべきだということは、あるものがあるということの理由たりえない。規範の妥当根拠は別の規範の妥当性でしか ありえない。別の規範の妥当根拠を表わす規範は、低次の規範との関係で高次の規範だと比喩的に言われる。
王権神授説から脱却してロックやホッブズの自然法という,自然の法則の中から普遍的な規範を見つけ出そうという思想がありました。
https://philosophy.hix05.com/Locke/locke06.social-contruct.html
自然法は存在から当為を導き出す誤謬で論理学的におかしいということで,自然法へのアンチテーゼとして法実証主義がドイツなどで生まれ,それとセットで生まれた価値相対主義/ラディカル民主主義の荒涼からナチスが生まれたりしました。
ケルゼンはまさに法実証主義の中心にいた学者です。
政治哲学の分野は,アリストテレスの目的論,ミルの侵害原理,ロックの所有権,カントの道徳律,ハイエクの古典的自由主義,ロスバードのリバタリアニズム,ドゥウォーキンの権利論,ロールズの正義論,マッキンタイアなどのコミュニタリアニズムあたりが系譜で,最近は憲法論のレベルでは政治哲学の参照・導入が進んでいます。
Tさん:なるほど、やはり、法的文書や契約書は文書にしないといけないのでしょうか、 つまり、コーパスと理論演算記号を並べただけの、骨組みが、そのまま、契約ライクな縛りにならないか、という問いです。 それにしても名詞の定義は各自にゆだねられてしまうというところが、むしろ課題なのですかね。
倫理もそうですね
池田:そうですね。どうしても言葉は厳密ではない部分がありますね。
規範の定立よりは,刻々と変化している法解釈の動態を捉えるところは望みありですね。
淡々とした法の実証です。妥当している規範は観察できる科学の領域になり得ます。
Tさん:解釈が変わりうる部分は追うとして、 変わらない部分は”サイエンス”として取り扱えるかもしれないという事ですね。
池田:そうですね。
あとは法経済学ですね。
Tさん:法経済学とは?
池田:
https://kotobank.jp/word/%E6%B3%95%E3%81%A8%E7%B5%8C%E6%B8%88%E5%AD%A6-167905
望ましい効果からの政策設計を法の分野まで厳密にやろうという感じですね。法律家はついつい行為の動機など主観を重視してしまうんですが,法経済学は結果を重視する帰結主義です。
「正義」へと向かう三つのアプローチ 一つめにあげられるのは功利主義であり、社会全体の幸福を最大化させることが正義の意味するものだとされる。特に論じられるのはジェレミー・ベンサムの功利主義である。功利主義に関しては、近年では、社会的効用の決定不可能性と諸個人間の効用の基数的な比較不可能性に関連する議論が広くみられる傾向があるが、本書では、これに加え、功利主義が人間の尊厳と個人の権利を疎外することを、功利主義を正義の原理とすることに対する第二の反論として取り上げられる。...
「正義」へと向かう第二のアプローチは、正義を自由と結びつけるものである。ここでは、市場における自由な商品交換が公正な分配につながり、市場に対するあらゆる介入は選択の自由を侵害するものであって公正を阻害することになるとみるリバタリアニズム(自由至上主義)や、イマヌエル・カントとジョン・ロールズのアプローチがそれぞれ1章を割いて取り上げられている。…
最後の第三のアプローチは、美徳にもとづいて「正義」へと向かうアプローチであり、アリストテレスの政治哲学が特に取り上げられている。アリストテレスにとって、「正義」は目的にかかわり、称賛されるべき美徳を備えていることが公正で正しいことの意味となる。...
Tさん:なるほど、そういう考え方があるという事ですね。 国民が法律で国(や地域)を選ぶような流動性が出たら面白いですね。 実際の世界ではいろいろな観点が絡むのですね、シミュレーションやインシリコ上では成立するのかもしれませんね。
池田:実際Treaty(条約) Shoppingといって税務はTax Havenを求めて富裕層やファンドや企業は選択をしていますね。逆に仮想の国家をバーチャル空間上に作ったり,途上国を買い取って昔のアメリカやシンガポールのように社会実験をしてもおもしろいような気がします。
Tさん:面白いですね。。!
社会実験ですね。 地方創生とかと組み合わせるのは愚直かな。。
池田:そうですね。国家の権力性の契機がキーです。国家論はEthnicityやReligionを束ねたNation Stateの勃興期や帝国主義の頃に意識されたようです。外地法/植民地法などですね。今は侵略戦争や領土争いが少なく,国家という枠組みが非常に安定していますが(クーデターもコップの中の嵐),資本や所有権の移動が自由になっている隙をついて,そういった動きも今後あり得ると思います。国家レベルでのM&Aですね。政府から買い取って憲法を変えるパターンや,国民の票を買う方法や,土地を買う方法や,通貨を破綻させて望ましい通貨を流通させる方法など,いくつかの方法はあると思います。
あとは人の心をつかむ理念がしっかりしていることですね。 軍事や経済で制圧した植民地政策はすべて失敗しています。
オーストリア人のヒトラーは個人レベルで達成してしまったんでしょうね。
シンガポールはベンチャー国家経営という意味で研究に値します。
終戦による旧日本軍の撤退後、シンガポールは現在のマレーシアの一部として独立を果たした。しかしマレーシア国内において、マレー系と中華系の対立が激しくなり、結局、シンガポールはマレーシアから追放されてしまった。
シンガポールは都市国家で天然資源が一切ない。現在でも水道はすべてマレーシア側から供給されている。そのような脆弱な都市国家が、果たして主権国家として存続できるのか、当時はまったく未知数であったといわれる。今では想像もつかないが、リー氏はシンガポールの将来に絶望しており、涙ながらに独立宣言を行っている(演技という説もある)。
クアンユーはもともと法律家です。
戦後の1945年にイギリスへ留学。ケンブリッジ大学のフィッツウィリアム・カレッジで法律学を専攻し(後に名誉校友となる)、1949年に首席で卒業した後は、短期間ではあったがロンドン・スクール・オブ・エコノミクスにも通い、同年に帰国した後は弁護士資格を取得し、“Laycock and Ong”という法律事務所に勤務した。
迫力がありますね(笑)